カクテル

日記

体育

体育は障害を持ってからずっと見学だった。
豊島岡女子校の頃は、基本体育は室内のエアロビクススタジオで、夏は8Fの屋内プールに入った。
校庭はなく、覗かれないために教室のブラインドも閉められていた。唯一外に出たのは中庭でテニスをした時くらい。
私の祖父はスポーツ選手でオールジャパンのキャプテンだったが、私自身は運動の素質はなかった。
これは謙遜やプロにはなれなかった(あと一歩だった)などではなく、
50m走10秒台、泳げない、自転車に乗れない、バレーボールのサーブは入ったことがない運動音痴という意味だ。
慶應義塾大学の体育は怪我・障害用クラスにうまく入れて貰えた。そのクラスの学生は腕時計型心拍計を付け、Bluetoothで先生がアプリを用いて管理してくれた。
パラリンピックのボッチャやジャグリングなどを"学んだ"(できない)。
一度、柄にもなく、自律神経訓練法を履修した。
自律神経を安定させたかった。
きっかけは
深夜2時に彼氏に「守ってあげたい」とLINEを送りつけた後、ふと冷静になり予約を入れたからである。
結果、授業開始と共に熱中症で倒れ、車椅子で医務室に運ばれた。

終わり。